子供にお金の教育をしていますか?──この問いに、日本の親の64%は「教えたことがない」と答えています。
学校で金融教育を受けた認識のある日本人は、わずか7.2%。アメリカの21%と比べて約3分の1です。
参考:日本経済新聞「親悩ます金融教育 教えたことない64%」2024年5月26日/https://www.nikkei.com/article/DGKKZO80940320V20C24A5MM0000/
参考:金融広報中央委員会「金融リテラシー調査 2019年」/https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/literacy_chosa/2019/
私はこれを、単なる「教育不足」ではなく、構造的なネグレクトだと考えています。強い言葉だと自覚したうえで、あえてこう表現するのには理由があります。
私自身が、「お金の教育を受けなかった子供」だったからです。そして、その代償を支払い終えるまでに、40歳近くまでかかりました。
この記事は、評論家としてではなく、当事者としての証言です。

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私が刷り込まれた金銭観は、たった一つだった
振り返れば、子供の頃、家庭でお金について教わった記憶は一切ありません。学校でも、お金の仕組みや稼ぎ方に触れられることはなかった。
「お金は汗水たらして働いて得るもの」──それだけが、漠然と刷り込まれた唯一の金銭観でした。
この金銭観のまま、私はプロボクサーを引退し、派遣・アルバイトなど30社以上の現場を渡り歩くフリーター生活に入りました。
汗水たらして働くこと自体は、何も間違っていません。ただ、当時の私には「時間を切り売りする」以外の稼ぎ方が、この世に存在することすら見えていなかった。選択肢を知らないというのは、そういうことです。存在を知らないものは、選びようがないのです。
認識が根本から覆ったのは、ネット起業に死に物狂いで取り組むようになってからです。
著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』でも書いていますが、お金とは労働時間や汗水の対価ではなく、「世の中に与えた価値の対価」である。この概念に出会ったとき、それまでの自分がいかに狭い前提のなかで生きてきたかを思い知りました。
今でも覚えているのは、自分の力で初めて収益を得たときの感覚です。金額で言えば、笑ってしまうほどの小銭です。けれど、「雇われて給料をもらう」のではなく「自分が生み出した価値にお金が支払われた」というゼロイチの体験は、それまで30年以上かけて固まっていた金銭観を、一撃で砕きました。
もっと早くこの視点に触れていれば、人生の選択肢はまったく違うものになっていたはずです。
だから私は、お金の教育をしないことを「構造的ネグレクト」と呼びます。悪意の有無は関係ありません。選択肢の存在を教えないことは、選択肢を奪うことと、結果において同じだからです。
なぜ「ネグレクト」とまで言うのか
「ネグレクト」という言葉に、違和感を覚えた方もいるかもしれません。暴力を振るうわけでも、食事を与えないわけでもない。お金の話をしないだけで大げさではないか──そう感じるのは自然なことです。
けれど、少し考えてみてください。
子供が18歳で社会に出たとき、最初に直面するのは「お金」の問題です。家賃、食費、税金、保険、クレジットカード、奨学金の返済。これらに対処するための知識を、まったく持たないまま放り出される。
交通ルールを教えないまま道路に出す親はいません。泳ぎ方を教えないまま海に放り込む親もいません。けれど、お金のルールを教えないまま社会に送り出すことは、日本では「普通のこと」として許容されています。
ネグレクト(養育放棄)の定義には、身体的な放棄だけでなく、「子供が社会で生きていくために必要なスキルや知識を提供しないこと」も含まれます。お金の知識は、まさに「社会で生きるために不可欠なスキル」です。だからこそ、意図的であろうとなかろうと、お金の教育の不在は構造的なネグレクトなのです。
日本でお金の教育が遅れている本当の理由
では、なぜ日本ではお金の教育がここまで遅れているのか。「お金は汚い」という文化的タブーがよく理由に挙げられますが、問題はもっと根深い構造にあります。
理由①:親自身がお金の教育を受けていない
子供にお金を教えられない最大の理由は、親自身が教わっていないからです。
戦後の日本では、「真面目に働いて、コツコツ貯金すれば報われる」という価値観が長く支配してきました。終身雇用と年功序列という制度が機能している間は、お金について深く考えなくても生きていけた。その時代の親が子供に教えられるのは「貯金しなさい」だけです。投資の考え方、複利の力、税金の構造──これらを教えられる親は、今でもごく少数です。
つまり、教えないのではなく、教えられない。知識がないから伝えようがない。これは個人の責任ではなく、世代を超えた構造的な問題です。私の親の世代を責める気は、まったくありません。彼らもまた、教わらなかった側なのですから。
金融心理学では、こうして親から子へ無意識に受け継がれるお金の信念を「マネースクリプト」と呼びます。「お金は汚い」「稼ぐのは卑しい」といった信念が、教育の不在を通じて次世代に転写される構造です。
理由②:「お金の話=はしたない」という文化
日本には、お金の話をタブー視する根強い文化があります。その起源は、江戸時代の身分制度にまで遡ります。士農工商の序列において商人は最下位に置かれ、「お金を稼ぐこと」は卑しいこと、「清貧」が美徳とされてきました。
この価値観は、令和の今も無意識のうちに受け継がれています。食卓で「今月の収入はいくらか」を話し合う家庭はほとんどありません。子供が「うちはお金持ちなの?」と聞けば、「そういう話はしなくていい」とたしなめられる。
結果、子供は「お金のことは考えてはいけない」というメッセージを受け取って育ちます。考えてはいけないものについて、正しい判断ができるようになるはずがありません。
ここで、ひとつ私の実感を加えておきます。
ネット起業の世界に入って気づいたのは、「お金の話をいやらしいと感じる人ほど、お金に振り回されている」という逆説です。お金を直視している人は、お金を淡々と道具として扱います。目を逸らしている人ほど、心の中がお金への不安と執着で占領されていく。タブー視は、お金からの自由ではなく、お金への隷属を生むのです。
理由③:学校教育だけでは足りない
2022年4月から、高校の家庭科で金融教育が必修化されました。株式や投資信託、資産形成の基本が授業に組み込まれたのは、大きな前進です。
参考:文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)」/https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1384661.htm
しかし、学校だけで金融リテラシーが身につくかといえば、答えはノーです。
お金の判断力は、日常の中で繰り返し「選択」する経験から育つものです。教科書の知識だけで、スーパーでの衝動買いを防げるようにはなりません。学校は「知識のインプット」はできますが、「お金との付き合い方」を身体で覚えるのは、家庭の役割です。
教わらなかった子供は、どうなるのか
お金の教育を受けないまま大人になった人は、どうなるか。私が通ってきた道と、周囲で見てきた現実から言えるのは、次の4つです。
第一に、「お金の不安」から逃れられなくなります。貯金がいくらあっても足りない気がする。将来が漠然と怖い。この不安の正体は、お金の「量」ではなく、お金の「構造」を理解していないことから来ています。構造が見えないものは、いくら積み上げても安心に変わりません。
第二に、お金との「関係」を間違えます。お金を「道具」ではなく「自分の価値を証明するもの」として捉え、年収で自分を測り、ブランド品で自己肯定感を補い、浪費と後悔を繰り返す。歪みの種は、多くの場合、子供時代に蒔かれています。
第三に、節約と浪費の区別がつかなくなります。「安いもの=節約」「高いもの=浪費」という短絡的な判断しかできず、価値基準を持たないまま損を積み重ねていく。この見分け方については、別の記事で詳しくお伝えしています。
第四に、詐欺や搾取に対して無防備になります。「絶対に儲かる」「元本保証」──こうした言葉に疑いを持てるかどうかは、知識の有無で決まります。知識がなければ判断基準もなく、判断基準がなければ他人の言葉を鵜呑みにするしかない。
実際、ネット起業の世界に足を踏み入れた当初の私は、「片手間で簡単にドカンと!」という錬金術まがいのキャッチコピーに群がる側の人間のひとりでした。あれこそが、金融教育の不在が生む無防備さの実例です。幸いすぐに目を覚ましましたが、あのまま搾取され続けた人を、私は何人も知っています。
借金についても同じです。良い借金と悪い借金を見分ける判断基準を持っているかどうかで、人生の選択肢は大きく変わります。
私が子供に伝えるとしたら──遠回りした人間の結論
ここまで読んで、「自分もお金の教育を受けていない。子供に何を教えればいいかわからない」と感じた方もいるかもしれません。
安心してください。完璧な金融知識は必要ありません。40歳手前まで遠回りした私が、もし子供に伝えるなら、教えたいのは金利の計算式ではなく、次の3つの「体験」です。
①「お金は価値の対価である」を体験させる
お小遣いは、子供にとって最初の「お金の授業」です。定額制で計画的に使う力を育てるのも良いですが、私が重視したいのは、その一部でも「誰かの役に立ったことへの対価」として渡すことです。
お手伝いの報酬でも、何かを作って家族に喜ばれた対価でも構いません。「時間を過ごせばもらえるお金」と「価値を生んで受け取るお金」の違いを、小さな金額で体験しておく。
私が30年以上かかって砕いた「お金=汗水の対価」という思い込みは、この体験が一度でもあれば、最初から固まらずに済むはずです。
② 500円の失敗をさせる
使い道は、子供自身に決めさせてください。親が口を出しすぎると、「自分で考えて、自分で決める」という経験が奪われます。
そして、失敗させてください。無駄遣いをして後悔する経験こそが、最も効果的な金融教育です。500円で失敗する経験は、将来、50万円や500万円で失敗することを防いでくれます。
情報として「無駄遣いは良くない」と知ることと、身銭を切って後悔することは、同じ結論でも深さがまるで違う。行動を通して導き出した答えだけが、判断力として身体に残ります。
③ お金の対話をタブーにしない
最も重要なのは、家庭の中でお金について自然に話せる空気を作ることです。
「なぜこの商品を選んだのか」「我が家のお金は、どういう仕組みで入ってきているのか」──こうした対話の積み重ねが、「お金について考えることは自然なことだ」という基盤を作ります。正解を教える必要はありません。親自身が学び直しながら、「自分はこう遠回りしたから、あなたにはこう伝えたい」と正直に話すこと。その正直さが、子供の心に最も響きます。
親自身の学び直しの入り口としては、お金を無形資産に変換するという考え方から始めるのがおすすめです。
お金の教育は、「人生の選択肢」を渡すこと
最後に、ひとつだけ伝えたいことがあります。
お金の教育とは、「稼ぎ方」や「節約の仕方」を教えることではありません。お金に振り回されずに生きる力を渡すことです。
お金の構造を理解している人は、お金に支配されません。お金の不安に押しつぶされることも、見栄のために散財することも、詐欺に騙されることもない。お金を「手段」として正しく位置づけ、自分の人生を自分でデザインできるようになる。
それはつまり、人生の選択肢を増やすことにほかなりません。
私は、選択肢の存在を知らないまま30代を迎え、そこから力ずくで人生を書き換えました。そんな私でも書き換えられたのだから、遅すぎることはありません。ただ、もし子供の頃に誰かが「お金は価値の対価だよ」と一言教えてくれていたら──その仮定を考えるたびに、お金の教育が持つ重みを思わずにはいられないのです。
お金と時間の使い方を見直し、自分らしく生きるためのヒントは、前述しましたが、著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』にも綴っています。下記より無料でお読みいただけます。
また、お金の常識を自分の頭で問い直し、雇用以外の選択肢を実際に手にした方々の歩みをインタビューにまとめています。子供に「こういう生き方もあるよ」と見せられる実例集として、併せてご覧いただければと思います。

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