13年越しの感謝を渡せた日──清掃バイト先の「おばちゃん」と一通の手紙

スカイツリーの食卓でつながったご縁のイメージ
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2026年5月30日、東京スカイツリーのソラマチ。

私は、初めて会うご家族とテーブルを囲んでいました。

正確に言えば、初めて会うのに、初めてではない気がする人たち──です。

この日、私は13年間ずっと言えなかったことを、伝えに来ていました。

話は2013年、ある清掃のアルバイト先から始まります。

なお、この記事に登場する方のお名前や経歴の細部は、プライバシーに配慮して伏せたり、ぼかしたりして書くことをお許しください。

2013年──清掃バイト先の、やさしいおばちゃん

当時の私は、ネットビジネスで生計の柱を立てようともがきながら、フリーター生活を送っていました。

2010年までプロボクサーとして生きて、引退して、妻とふたりの暮らし。現金収入のために選んだひとつが、清掃のアルバイトでした(この時のキャリアが、現在の私の事業の一つである清掃業にもつながっています)。

その職場に、ひとりのやさしいおばちゃんがいました。

ある日の休憩中、前日テレビ放送されたボクシング世界戦の話題になり、私が「2010年までプロボクサーをやっていたんですよ」と話すと、おばちゃんは目を丸くして「え!」と声を上げました。

「実はうちの息子も今、プロボクサーをやってるんですよ」

息子さんの名前を聞いて、今度は私が「え!!!」と声を上げる番でした。当時、日本ランキングに名を連ねていた選手だったからです。デビューから翌年に新人王のタイトルを獲り、のちに日本タイトルにも挑戦する実力者。ここでは、T選手と呼ばせてください。

まさかアルバイト先の現場で、あの選手のお母さんと一緒に働いているとは。

それ以来、おばちゃんは私を、まるで自分の息子のようにかわいがってくれました。

ちょうどその頃、私は当時の妻のことで深く悩んでいました。おばちゃんは毎日毎日、親身になって話を聞いてくれました。そして「これお嫁さんと食べな」と言いながら、毎日のように差し入れを持たせてくれたのです。

やがて私は、もっと稼がなければならない事情ができて、その職場を去ることになりました。

去り際、言葉だけでは足りない気がして、私はおばちゃんへの感謝の気持ちを一通の手紙に書き、手渡しました。

渡せなかった、もうひとつの報告

それから11か月後、私は離婚しました。

あれほど「お嫁さんと食べな」と差し入れをもらっていたのに。あれほど親身に話を聞いてもらっていたのに。

「ちゃんと事実を報告しなければ」

その思いは、時間が経つほど重くなりました。おかしなもので、感謝よりも先に報告すべきことができてしまうと、感謝そのものまで渡しに行けなくなるのです。

おばちゃんはお酒が大好きだと聞いていたので、事実報告も兼ねてご馳走したい。いつか必ず顔を合わせて、恩返しをしよう。そう決めたまま、1年が経ち、5年が経ち、10年が過ぎました。

清掃をしていたアルバイト先は家の近所だったので、現場の前を通るたびに探しもしましたが、再会の偶然が訪れることはなく…。

心のどこかに、小さな石がずっと入ったままでした。

2026年3月──「明日、引退試合」の一報

その後も、T選手のことはずっと応援していました。

しかし、ある時からT選手の試合情報を目にすることがなくなったので、私は引退されたものだと思っていました。

が!

今年の3月。スマートフォンに、一つのニュースが飛び込んできました。

「明日、T選手引退試合」

え? まだ現役だったのか──。

そう思った瞬間から、私は止まらなくなりました。T選手の名前を検索し、記事を読み込んでいくと、私が知らなかった壮絶な半生が、次々と明らかになっていったのです。

10代半ばで親元を離れ、ジムの寮に入れられたこと。中学を卒業する日に、立て替えられた生活費として100万円近い「借金」の契約書に署名させられたこと。ファイトマネーのほとんどが手元に残らなかったこと。所属ジムとの間で長い係争になり、7年近くリングから遠ざかったこと。その間、コンビニの夜勤で家族を養い続けたこと。奥様が生まれつき車いすで生活されていること。

形の上では、彼の起こした闘いは「負け」に終わったそうです。しかしその一件が引き金となって、ボクシング業界のルールが見直され、現在の選手たちは以前より自由に所属ジムを選べるようになった──記事はそう伝えていました。

リングの上の勝ち負けと、人生の勝ち負けは、まったくの別物です。判定表に載らないところで、彼は間違いなく何かを変えていました。

勝ち負けという言葉がいかに「観客席の言葉」であるかは、以前この記事に書いた通りです。

そして、ある記事に記載されていた、「たった一文」が、目に飛び込んできました。

「…たり、お母さんが倒れられたり…」

その瞬間、頭のなかに2013年の清掃現場が蘇りました。毎日差し入れを持たせてくれた、あのおばちゃん。あのお母さんが、倒れた。

翌日の引退試合の結果は、ニュースで確認できました。KO勝利。最後の最後まで、彼はリングで勝って終わりました。

「手紙を、ずっと大切に保管しています」

試合から1週間ほど経って、私は決意しました。

インスタグラムで本人のアカウントを見つけ、ダイレクトメッセージを送ったのです。自分が何者なのか。お母様に、かつてどれほどお世話になったか。当時のことをすべてを包み隠さず書きました。

返信が来ました。

お母様が倒れたのは、出勤途中の電車の乗り換え中だったそうです。病院では「今日を越えられる可能性は低い」とまで言われた。かろうじて一命は取りとめたものの、いまは認知症を患っていて、昔のことは思い出せたり、思い出せなかったりの状態だといいます。

そして彼は、続けてこう書いてくれました。

「山下さんのことは知っています。当時、毎日母から話を聞かされていました。渡してくださった手紙は、ずっと大切に保管しています」

スマートフォンを持つ手が、震えました。

離婚の報告ができないまま、13年間抱え続けた後悔。その一方で、あの日の手紙は、13年間ずっと、捨てられずに残っていた。

私が「渡せなかった」と思い込んでいた感謝は、とっくに受け取られていて、しかも保管までされていたのです。

本当は、お母様に直接お礼を言いたい。けれど、いまのお母様の状態を考えると、突然現れた昔のアルバイト仲間の顔は、混乱させてしまうかもしれません。だから、せめて息子さんを通じて気持ちを渡させてほしい──そう思って、食事に誘いました。彼は快諾してくれました。

スカイツリーの食卓

そうして迎えた、5月30日の東京ソラマチです。

集まったのは、T選手、車いすの奥様、中学2年生の長女ちゃん、小学5年生の長男くん、小学3年生の次女ちゃん、そして私。

テーブルを囲むと、話は尽きませんでした。初対面のはずの奥様もお子さんたちも、驚くほど温かく接してくれました。T選手の「毎日母から話を聞かされていました」という言葉の意味が、席に着いて数分でわかった気がします。私は13年前から、この家族のなかに少しだけ存在していたのかもしれません。

私はお母様への感謝を、全部、彼に伝えました。前妻とのことも、正直に、すべて。

13年間、胸の奥に入ったままだった小さな石が、ゆっくり溶けていくような時間でした。

今回は前妻の話を報告する場でもあったので、妻を連れて行くことはできませんでした。するとご家族のほうから「次回はぜひ、奥様もご一緒に」と言ってくださったのです。

帰宅して妻にその日のことを話すと、妻はこう言いました。

「ぜひ家族ぐるみでお付き合いしていきたいね」

感謝は生ものだが、手紙は腐らない

この一件から私が受け取ったことを、忘れないうちに書き残しておきます。

感謝は、生ものです。「いつか伝えよう」と置いておくほど渡しにくくなるし、渡す相手がいつまでも元気でいてくれる保証は、どこにもありません。私はそれを、「お母さんが倒れられた」という一文で突きつけられました。

けれど同時に、こうも思うのです。

感謝は生ものだが、手紙は腐らない。

あの日、口頭のお礼だけで済ませていたら、13年後にこの縁が結び直されることは、たぶんなかったでしょう。紙に書いた感謝は、私の知らないところで13年間生き続け、認知症で記憶が揺らいでいくなかでも、家族の手元に「物」として残り続けていました。

デジタルの時代に、と笑われるかもしれません。でも、消えないはずのデータは案外あっさり流れていき、なくなりやすいはずの紙が、誰かの引き出しで何十年も生きていたりする。

もしいま、あなたに「いつか伝えよう」と思ったまま置いてある感謝があるなら、形にして渡しておくことをおすすめします。渡した感謝は、忘れた頃に、思いもしない形で帰ってくることがあります。

私自身、ボクシングを引退してから、報われなかった10年の意味をずっと考え続けてきました。あの10年がなければ清掃の現場でおばちゃんに出会うこともなく、この食卓もなかったのだと思うと、「報われる」という言葉の意味も、少し違って見えてきます。

ボクシング時代の恩人の記憶をたどる話は、先日、沖縄の海岸を探した記事にも書きました。歳を重ねるほど、こういう「回収しに行く旅」が増えていく気がしています。

次にご家族と会うときは、妻も一緒です。そしていつか、お母様の体調が許す日が来たら、今度こそ直接、あのとき私を支えて下さったお礼を言いたいと思っています。

おばちゃん、あのときの差し入れ、本当においしかったです。


清掃現場で働いていたフリーター時代の私が、そこからどうやって「雇われない生き方」までたどり着いたのか。その顛末は、著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』に綴っています。下記より無料でお読みいただけます。

人との縁や偶然の出会いに導かれて、自分らしい生き方にたどり着いた方々の話は、インタビューでも読むことができます。この記事のような「縁の不思議」が好きな方は、きっと楽しめるはずです。

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Studio Rough Style(SRS)代表。 当サイト管理人&編集長。 1976年生まれ、熊本県出身、東京都在住。 元プロボクサーで、選手引退後に、派遣・アルバイトなど30社以上の現場を渡り歩くフリーター生活を経験後、セカンドキャリとしてネット起業の世界へ。 詳細は下記にて。 [clink url="https://studio-rough-style.net/self-introduction/"]

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