ニーチェの「超人」と聞くと、多くの方が「超能力者」や「ずば抜けて強い人」を想像するのではないでしょうか。しかし、ニーチェが『ツァラトゥストラはこう言った』で示した「超人(ドイツ語でÜbermensch。「人を超えた人」という意味)」は、能力の話ではありません。世間で当たり前とされている価値観に縛られず、自分自身で「何を大切にするか」を決めて生きる人のことです。
これは、19世紀末のヨーロッパで「神は死んだ」と宣言した思想家の警告であると同時に、現代を生きる私たちへの問いでもあります。終身雇用が崩れ、副業・独立・転職・海外移住といったキャリアの選択肢が広がる一方で、「結局、何を基準に選べばいいのか」とわからなくなる人は少なくありません。誰かが用意した「正しい人生のレール」が見えなくなったとき、人はかえって不安になります。
ニーチェの超人思想は、まさに「与えられた人生の正解が崩れたあと、人はどう生きればよいか」という問いへの一つの答えでした。これは19世紀の話だけではありません。終身雇用、年功序列、「親と同じ成功モデル」が崩れていく今の日本の状況にも、驚くほど直接響きます。
この記事では、ニーチェの4つの核心概念──「超人」「精神の三段の変化(駱駝・獅子・子ども)」「奴隷道徳と君主道徳」「力への意志」「永劫回帰」──を、できるだけかみ砕いて整理します。そのうえで、現代のキャリア選択(会社員を続けるか・転職するか・独立するか)に活かす視点まで落とし込みます。読み終えるころには、自分の働き方をチェックするための4つの問いが、手元に残るはずです。

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結論──ニーチェの「超人」は強い人ではなく「自分で価値を決める人」
先に結論を置きます。
ニーチェの「超人」とは、能力が高い人でも、競争に勝ち続ける人でもありません。世間から渡された価値観をうのみにせず、「自分が何を大切にするか」を自分の言葉で決められる人のことです。
現代のキャリアに置き換えれば、「会社の評価基準」「世間の成功イメージ」「他人の期待」をそのまま自分のものとして引き受けず、「自分にとって何が大切か」を自分で決めている人を指します。
【ニーチェの超人思想が現代のキャリアに示す5つの示唆】
- 「神は死んだ」=親世代の成功モデルは崩れた──与えられた正解はもう機能しない。
- 精神の三段の変化=キャリアの成長ステップ──駱駝(修行)→獅子(脱却)→子ども(創造)
- 奴隷道徳と君主道徳──自分の価値観は、自分から作ったものか、誰かへの反発で作ったものか。
- 力への意志──「もっとよくなりたい」という内側からの衝動を、安定で殺していないか。
- 永劫回帰──「同じ毎日が永遠に繰り返される」と言われて、「それでいい」と言えるか。
この5つを順に見ていきます。最後には、自分のキャリアを診断する具体的な4つの問いも整理します。
ニーチェの「超人」とは何か──能力ではなく「自分で価値を作る人」
まず、超人の定義を正確に押さえます。日経ビジネスは、ニーチェ思想の中心を次のように要約しています。
「力への意志」「超人」とは、ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの思想の核心ともいえる概念です。誤解されがちですが、力への意志とは、他者を支配したいといった権力欲ではありません。それは、「自己を超越して、より強く、より高まろうとするような生命の根源的な衝動」を指します。また超人とは、能力が高い人間ではなく、新しい価値を自ら創造できる存在を意味します。
参考:日経ビジネス「『超人』『力への意志』ニーチェで読み解くジョブズとシュンペーター」/https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/031900467/
かみ砕けば、こうなります。超人は能力で決まらない。新しい価値を自分で生み出せるかどうかで決まる。ここを最初に押さえないと、超人思想は「強い者の哲学」「自己啓発の道具」として誤解されてしまいます。
ニーチェはまた『ツァラトゥストラ』のなかで、
人間とは、動物と超人のあいだに張り渡された一本の綱である
と書いています。
これは、人間そのものがゴールではなく、人間は「動物から超人へ進む途中の橋」だ、というイメージです。今のままで完成しているのではなく、自分を少しずつ乗り越えていく存在──これがニーチェの言う自己超克(じこちょうこく。今の自分を自分で乗り越えていくこと)です。
つまり超人とは、特別な才能を持って生まれた人ではなく、「自分はまだ完成していない」と認め、自分を超え続けようとしている人のことです。この時点で、「成功者になりたい」「能力を高めたい」という発想とは、目指す方向がまったく違うことが見えてきます。
前提──「神は死んだ」と、与えられた価値の崩壊
超人を語るうえで避けて通れないのが、有名な「神は死んだ(Gott ist tot)」というフレーズです。これは無神論宣言ではなく、ニーチェからの時代診断でした。
19世紀末のヨーロッパは、それまで人々の人生に意味を与えてきたキリスト教の価値観が、急速に説得力を失っていく時代でした。それまでは「神の意志に従って生きる」「死後の救いを目指す」というかたちで、生きる目的が外側から与えられていた。しかしその大前提が崩れたとき、何が起きるか。「何を信じればいいのかわからない」という空白です。ニーチェはこれをニヒリズム(虚無主義。生きる意味や価値が失われた感覚)と呼びました。
ここで重要なのは、ニーチェがこの空白を嘆かなかった点です。むしろ「これからは人類が自分の力で新しい価値を作るべきだ」と説いた。神の死は終わりではなく、人間が「自分の価値観」を持つチャンスの始まりとして位置づけたわけです。
この構造は、現代のキャリアにも驚くほど直接重なります。「いい大学→大企業→終身雇用→定年退職」という日本の戦後モデルは、もはや多くの人にとって機能していません。給料の伸びは止まり、終身雇用は崩れ、副業・転職・独立が当たり前になり、AIによって仕事の中身そのものも変わっていく。「これに従えば人生は安泰」という与えられた人生のレールは、現代日本でも崩れたのです。
そして崩れた瞬間、私たちもまた虚無感に直面します。「結局、何を目指して働けばいいのか」「何が成功なのか」「何を選んでも正解に思えない」──これは、19世紀ヨーロッパの問いと同じ構造です。「普通」のテンプレートが効かなくなった社会で、何を価値とするか。
精神の三段の変化──駱駝・獅子・子どもとして読むキャリアの成長ステップ
『ツァラトゥストラ』第一部の冒頭で、ニーチェは超人に至るまでの精神の成長段階を、わかりやすい寓話で描きました。「精神の三段の変化(三変化)」です。
【精神の三段の変化】
- 第一段階:駱駝(らくだ)──「やらなければならないこと」を背負って歩く段階。義務、責任、規律、忍耐の象徴。
- 第二段階:獅子(しし)──「私はこうしたい」と叫び、自分を縛っているものと戦って自由を奪い返す段階。ただし、まだ新しい価値を作る力はない。
- 第三段階:子ども──「これでいい」と肯定し、創造の遊びに入る段階。無垢、忘却、新しい始まり。自分自身の価値を作り出す。
参考:講談社『ツァラトゥストラはこう言った』森一郎訳/https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000378667
この三段階は、現代のキャリアのステップとほぼぴったり重ねて読むことができます。一つずつ見ていきましょう。
① 駱駝の段階──新人時代に背負う「やらなければならないこと」
駱駝の段階は、社会人キャリアの最初の段階です。新人として会社に入り、業界の常識、上司の指示、社内ルール、業務マニュアル、敬語、報連相、提案書の書き方──こうした「やらなければならないこと」を背負って、慣れない仕事の砂漠を歩く時期です。
ここを軽く見るべきではありません。駱駝の段階は、力をためる時期です。あとで獅子になって戦うにしろ、子どもになって創造するにしろ、最初に背負って歩いた経験がなければ、地力が育ちません。重さに耐えた人だけが、あとで「もう降りる」と決められる立場に立てます。
ここで多くの人がはまる罠は、駱駝の段階を否定的にとらえてしまうことです。SNSでは「会社員=駱駝=奴隷」というような短絡が見られますが、ニーチェの三段の変化はそういう話ではありません。駱駝なしに獅子も子どもも来ない。ニーチェは「強い精神は、自分から義務を引き受ける」と語っています。
20代でいきなり「自分のやりたい仕事しかしない」と決めた人が、30代で自由を持て余して動けなくなるケースは少なくありません。これは、駱駝の時期を飛ばしたために、獅子になるための足腰が育っていない状態です。
一方で、駱駝のまま一生を終えるべきでもありません。ニーチェは「強い精神はやがてそれに飽き足らなくなり、自分を縛るものとの戦いに挑む獅子に変わっていく」と書いています。「もう、これだけでは物足りない」と感じはじめる感覚そのものが、次のステージへの合図です。
② 獅子の段階──「私はこうしたい」と自由を奪い返す
獅子の段階は、現代のキャリアでいえば、転職・独立・副業・働き方の刷新といった「脱却」の時期に当たります。30代から40代にかけて、「このまま会社にいていいのか」「自分の人生はこれでいいのか」と問いはじめる時期です。
ニーチェは、獅子の戦う相手として「黄金の竜」を置きました。これは昔から続く価値観・「べき論」のかたまりを象徴しています。現代に置き換えれば、「大企業に勤めることが正解」「年功序列が正しい」「副業は危ない」「30歳までに結婚すべき」といった、社会・親世代・上司から無言の圧力としてやってくる価値観のことです。
獅子の段階に入った人は、これらの「べき」と戦いはじめます。転職する。会社を辞める。副業を始める。海外に出る。結婚や出産の時期を自分で決める。決まったレールから降りる──。この戦いを経て、人は「私はこうしたい」と言える自由を手に入れます。
ただし、ここがニーチェ思想で見落とされやすい大事な点です。獅子は自由を手に入れるが、新しい価値を作る力はまだ持っていない。「これはしたくない」「これを我慢したくない」とは言えても、「では何のために生きるのか」「何を大切にしたいのか」までは、まだ答えられないのです。
これは、独立して数年たったフリーランスや、レールから外れた30〜40代がぶつかる空虚感に、そのまま当てはまります。会社を辞めることはできた。でも辞めた先で何を信じて生きるのかは、辞めるだけでは見えてこない。「自由になった」と「自由を何に使うか」は、まったく別の問題なのです。
レールから外れることそのものは人生を輝かせない、外れた先に何を置くかが本題だ──というテーマは、別記事でも整理しています。獅子のままで止まらないために必要な視点です。
③ 子どもの段階──自分の価値で創造的に生きる
三段階の最後が、子どもです。獅子が「私はこうしたい」と叫んで自由を手に入れたあと、その自由を使って、自分自身の価値を作り出す段階。
ニーチェはこの段階を「無邪気、忘却、新しい始まり、ひとつの遊び、自ら回る車輪、最初の動き、聖なる肯定」と表現しました。大事なのは、ここに「忘却(忘れること)」が含まれている点です。子どもは過去の戦いを引きずったまま生きるのではなく、いったん忘れて、新しい遊びに入る。獅子のままなら戦う相手が必要ですが、子どもには相手がいりません。
現代のキャリアに置き換えれば、子どもの段階は「自分の基準で自分の仕事をデザインしている人」です。会社員でも、独立していても、業種に関係なく、「自分が何を大切にしたいか」を自分の言葉で持っていて、その基準で日々の意思決定をしている状態を指します。
ここに「然り(しかり。「これでいい」「その通り」という肯定)」という言葉が出てきます。子どもの段階の人は、自分の人生に対して「これでいい」と言える。獅子のように「これは嫌だ」と否定しながら生きるのではなく、「これでいい」「これが私の道だ」と肯定しながら生きる。世界に対して開かれた状態です。
注意したいのは、子どもの段階=楽な段階ではないということ。むしろ自分で価値を作り続けなければならないため、駱駝や獅子よりも疲れることもあります。それでも、創造の中にいる人は、外からの評価や同調圧力に振り回されにくくなります。
「自分の成功基準を自分でつくる」というテーマと、子どもの段階は深く重なります。社会から借りた成功イメージで生きる限り、人は永遠に駱駝か、せいぜい獅子で止まります。
「奴隷道徳」と「君主道徳」──現代のキャリア観への警告
ニーチェの思想で、もう一つキャリアに直接関わるのが、「君主道徳(くんしゅどうとく)」と「奴隷道徳(どれいどうとく)」の対比です。これは『道徳の系譜』という本で詳しく書かれています。
君主道徳は、強い者が「自分の側から」自分の生き方を「これは良い」と肯定する道徳です。自分を肯定し、堂々と、自分で価値を決めていく姿勢を持ちます。
これに対して奴隷道徳は、弱い立場の人が、強い者への反感から、強い者の価値を逆さまにひっくり返して作る道徳です。「強い者は悪である。強くない私たちは善である」というふうに。この反感の感情を、ニーチェはルサンチマン(誰かへの強い恨み・反発の感情)と呼びました。自分から作った価値ではなく、誰かへの反発として作られた価値──ここが奴隷道徳の核心です。
参考:Wikipedia「君主-奴隷道徳」/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E4%B8%BB-%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E9%81%93%E5%BE%B3
ここで大事な指摘があります。ニーチェ自身が
ある人の道徳が君主道徳か奴隷道徳かは、その人の身分や地位で決まるのではなく、その人が行動するときの気持ちで決まる
と書いている点です。
会社員=奴隷道徳、起業家=君主道徳、という単純な分け方ではないのです。年収数億円の起業家でも、SNSでライバルを執拗に叩いている時点で、その人は奴隷道徳の側で動いています。
これを現代のキャリアに当てはめると、診断ポイントは次の1つです。自分の働き方や成功観は、自分から作ったものか、それとも誰かへの反発として作られたものか。
たとえば、「上司が嫌だから独立する」「親世代の価値観に反発して海外に出る」「同期に差をつけたいから副業を始める」──これらは、構造としては奴隷道徳の側です。誰かへの反感が出発点にあり、その反応として動いている。動機としては理解できますが、ニーチェ的に言えば、この動機で得た自由は「敵がいなくなった瞬間に意味を失う」。上司から離れた瞬間、独立した理由が消えてしまうからです。
SNSで「他人の成功」が常に流れてくる現代では、奴隷道徳に流されやすい構造が整っています。誰かの収入、誰かの暮らし、誰かのキャリア──常に他人を基準に自分を測る回路ができてしまう。「自分が何を大切にするか」を自分の言葉で持っていない人は、自動的に奴隷道徳の側にすべり落ちていくのです。
他人軸と自分軸の見分け方は、別記事で具体的に整理しています。ニーチェの奴隷道徳と君主道徳の議論は、現代の言葉では「他人軸と自分軸」とほぼ重なります。
「力への意志」──成長への内側からの衝動を、安定で殺していないか
次に、「力への意志」を見ます。これも誤解されやすい概念です。
「力への意志」を「権力欲」と訳すと、たちまち話が狭くなります。前にも書いたとおり、ニーチェの言う「力」は、他人を支配する力ではなく、「もっと強く、もっと高く、もっと成長したい」という生命の内側からくる衝動を指します。Wikipediaも「他人を支配するための権力だけを指すのではない」と明記しています。
参考:Wikipedia「力への意志」/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%BF%97
キャリアに置き換えると、力への意志とは「昨日の自分を今日少しでも超えたい」「もっと深く理解したい」「もっと良い仕事をしたい」という、内側からくる衝動のことです。誰かに勝ちたいわけでも、地位が欲しいわけでもなく、自分の成長そのものに向かう方向性のことです。
そして、ここが現代キャリアにとって痛い指摘になります。多くの人は、「安定」「ストレスがない」「楽」を求めているうちに、この内側の衝動を自分で殺してしまう。週末だけ生きるために平日をやり過ごす、転職しても同じことの繰り返し、副業を始めても3日で飽きる──これらは、力の入れどころを見失っている状態です。
経済学者のシュンペーターは、ニーチェから強い影響を受けて、
創造的な人物こそが、経済を動かす究極の存在である
と述べたとされます。
日経ビジネスは、スティーブ・ジョブズの伝記作家ウォルター・アイザックソンが、ジョブズの思想にニーチェの哲学を重ねていたことも紹介しています。ジョブズが繰り返した自己改革と既存の枠への挑戦は、力への意志の現代的なあらわれと読むことができます。
ここから出てくるキャリアの問いは1つです。「自分の中の『もっとよくなりたい』という衝動は、今どこに向かっているか」。仕事に向かっているのか、副業に向かっているのか、家庭に向かっているのか、それとも誰にも向かわずに、ぬるい安定の中で眠っているのか。眠らせている時間が長いほど、人は内側から少しずつ「何かがおかしい」と感じはじめます。
「永劫回帰」──「同じ毎日が永遠に繰り返される」と言われたら?
4つ目の核心概念は、「永劫回帰(えいごうかいき)」です。これは、ニーチェがキャリアの試金石として用意した、もっとも鋭い問いかもしれません。
永劫回帰とは、簡単に言えば「この世のすべての出来事は、まったく同じように永遠に繰り返される」という時間のとらえ方です。キリスト教のように「歴史には終わり(最後の審判)がある」という考え方を否定し、世界には始まりも終わりもなく、ただ円のように繰り返し回っている──というイメージです。
これが哲学的に深いのは、ニーチェがこの永劫回帰を「人生の試金石」として使った点です。「もし、今あなたが生きているこの瞬間、この仕事、この選択、この習慣が、寸分違わず永遠に繰り返されるとしたら、あなたはそれを『これでいい』と言えるか?」と問いかけたのです。これに「然り(これでいい)」と言える人生こそが、超人の人生だとした。
参考:Wikipedia「永劫回帰」/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%8A%AB%E5%9B%9E%E5%B8%B0
キャリアに当てはめると、これほど厳しい問いはありません。「今やっている仕事を、永遠に同じ条件で繰り返せと言われて、これでいいと言えるか」。多くの人は、ここで立ち止まります。今の仕事を、転職もなく、昇給もなく、変化もなく、同じ毎日として永遠に繰り返せと言われて、心から「これでいい」と言える人は少ない。
これは「今の仕事を辞めろ」というメッセージではありません。むしろ、「永遠に繰り返してもいい仕事の仕方や、生き方は何か」を逆算するための道具として使う。たとえば、毎日同じ通勤・同じ業務でも、その中で自分が何かを深め、何かを学び、何かに関心を寄せているなら、永遠の繰り返しにも耐えられます。逆に、ただ時間をやり過ごすために働いているなら、永劫回帰に耐えられません。
そして、永劫回帰を引き受ける態度を、ニーチェは「運命愛(うんめいあい。ラテン語でamor fati)」と呼びました。起きたこと、いま起きていること、これから起きることすべてを、「これでよかった」と愛するように肯定する。これは諦めや受け身ではなく、自分から選びとった肯定です。
宝くじに当たって人生が一変した人の多くが、結果的に不幸になっていく構造を別記事で整理しました。彼らは、与えられた大きな変化に対して「運命愛」で応じる準備ができていなかった人たちです。永劫回帰の問いに耐えられる土台──「自分の価値観」──を持っているかどうかが、突然の変化への耐性の差になります。
私自身の体験──「自分の価値観」を作り直した過程
20代、私はプロボクサーとして競技生活を送っていました。リングの上では、勝つか負けるかという、極めて単純で明快な基準のもとに動いていました。引退後はフリーターとして30社以上を渡り歩き、その後はネットを使った独自コンテンツの販売や、個人ビジネスのコンサルティングに移りました。一時期は「指導者」「リーダー」として大勢を率いる立場で動いていた時期もあります。
当時の自分は、いま振り返れば、ニーチェの三段の変化でいう獅子の段階にいたのだと思います。「会社員という従属的な生き方からは抜けた」「自分のやり方で稼いでいる」──そういう「私はこうしたい」段階の自由を手に入れて、満足していた時期がありました。
転機は、「指導者として大勢を率いる立場」が、自分が本当に望んでいるものとは少しズレていると気づいたことでした。「教祖的に多くの人に影響を与える人生」は、私が自分から欲したものではなく、ビジネスの構造として最適化された結果として乗ってしまっていた価値観だった。これに気づいたとき、私は獅子からもう一度別の方向に動くことを決めました。指導者ではなく、一プレイヤーとしてGoogleリスティングアフィリエイトという技術領域に没頭する道に戻ったのです。
このとき自分の中で起きていたのが、ニーチェの言う「価値観の更新」だったと、いまならわかります。外側で機能していた成功モデル(指導者として影響力を持つこと)を、いったん解体し、自分自身の価値(プレイヤーとして手を動かし、地に足をつけた静かな生活を持つこと)で組み直す。これは派手な決断ではなく、むしろ静かで、地味で、誰にも気づかれないような転換でした。
そして今、毎日同じように検索広告のデータを見て、媒体を最適化し、文章を書き、家族と食事をする──この繰り返しに、私は「これでいい」と言える状態にあります。これが完成形だとは思っていません。価値観はこれからも何度も書き換わるはずです。それでも、誰かが用意してくれた価値観ではなく、自分で書き直した価値観で動いているという手応えだけは、以前より明らかにあります。
ニーチェ思想を現代のキャリアに実装する4つの問い
ここまでの議論を、明日からの実装に落とし込みます。ニーチェの超人思想を現代のキャリアに使うとき、自分に向ける問いは、次の4つに集約できます。
【ニーチェ式・キャリア診断の4つの問い】
- 三段の変化の問い:今の自分は、駱駝・獅子・子どものどの段階にいるか。次の段階に進む準備ができているか。
- 君主道徳/奴隷道徳の問い:今の自分の働き方や成功観は、自分から作ったものか、それとも誰かへの反発として作られたものか。
- 力への意志の問い:自分の中の「もっとよくなりたい」という衝動は、今どこに向かっているか。安定や楽さで、それを殺していないか。
- 永劫回帰の問い:今の仕事と日々の過ごし方が、寸分違わず永遠に繰り返されるとしたら、心から「これでいい」と言えるか。
4つ目の永劫回帰の問いに対して「これでいい」と言えない部分が見つかっても、慌てる必要はありません。むしろ、その「これでいい」と言えない部分こそが、自分が次に動くべき領域です。永劫回帰の問いは、答えを出すための問いではなく、自分の人生のどこに違和感が残っているかを照らし出すためのライトとして使うのが正しい使い方です。
そして、4つの問いに対して動きはじめるとき、現実的には「会社の給料だけに頼らない収入の柱」を持つことが、大きな助けになります。価値観を書き換えるには、経済的にも独立した立ち位置が必要です。会社の評価だけが生活の頼りになっている限り、君主道徳の側に立ち続けるのは、構造的に難しい。雇われる限界を意識して自分で稼ぐ柱を持つことが、価値観を書き換える土台になります。
また、いまの日本の若者が国際比較データで未来への希望を最下位レベルで持てない構造についても、別記事で扱いました。「価値観を書き換える発想」自体が持ちにくい背景を構造的に理解したうえで、それでもなおニーチェ的に動くこと──これが、現代の超人的な選択です。
おわりに──「自分の価値観」を持つ人だけが、流動化の時代を生き延びる
ニーチェの超人思想は、19世紀末のヨーロッパで「神は死んだ」と宣告された時代に書かれました。それは、人々が信じてきた価値観が崩れ、「何を信じて生きればいいのか」を見失った時代への応答でした。
現代の私たちが置かれた状況は、構造として、それと驚くほどよく似ています。終身雇用、年功序列、親世代の成功モデル、男性は仕事・女性は家庭、定年退職と年金──こうした「かつての日本の神々」は、すでに多くの人にとって機能していません。AIによる仕事の変化、グローバルな働き方の広がり、結婚や出産の自由化、副業・独立の常識化。私たちは、与えられた人生のレールが崩れた時代を生きています。
このとき、ニーチェが示した答えは明快です。「自分の価値観を、自分の手で書きなさい」。これが、超人思想・三段の変化・君主道徳・力への意志・永劫回帰のすべてに通底するメッセージです。誰かが用意した価値観に従って動くのではなく、自分で「これを大切にする」と決め、その価値で日々を動かしていく。
これは、選ばれた天才や成功者だけにできる話ではありません。プロボクサーとして引退し、フリーター生活を経て、コンサル業を経て、いま一プレイヤーとして地味な検索広告データを毎日見続けている私のような人間でも、「自分の価値観で動いているか」という問いを毎日自分にかけ続けることは可能です。動き続けていれば、ニーチェの言う「これでいい」と言える瞬間は、確実に増えていきます。
当サイトSRSが大切にしているのは、「人生を、ラフに描く」という発想です。完璧な完成図を社会から受け取るのではなく、自分の手で人生のラフ案を描き、更新し続ける。これは、ニーチェの言葉で言えば「精神の三段の変化を、生涯にわたって繰り返し続ける」生き方そのものです。「ラフに描く」とは、「自分の価値観で線を引く」ということでもあります。
常識やテンプレートを疑い、自分自身の価値観で生きるテーマは、著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』でも詳しく綴っています。中学時代に「優等生の仮面」をかぶり続けて自分を見失った体験から、価値観の転換を通じて自由を取り戻していく過程を、私自身の言葉でまとめました。下記より無料でお読みいただけます。
また、価値観を書き換えるうえで、経済的に独立した立ち位置を持つことは、現実的に大きな助けになります。会社の給料だけに依存しない収入の柱を持ちたい方向けに、私が現在進行形で取り組んでいるGoogleリスティングアフィリエイトの手順を、初心者向けに『Googleリスティングアフィリエイト大全』として下記にて無料公開しています。
ニーチェが120年以上前に書いた言葉が、いま読んでも生々しく響くのは、彼の問いが普遍的だからです。「与えられた価値観が崩れたとき、あなたは自分の価値観を持っているか」。この問いに対する自分なりの答えを、明日から少しずつ書きはじめることが、現代における超人への第一歩です。

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