30代半ばでボクシングのグローブを置いたとき、私にはどうしても直接顔を見て報告したい人がいました。
福岡でバーを営む、私の師匠です。
20代前半、本気でプロボクサーを志すと決めた私を、所属ジムで最初に担当してくれたトレーナー。東京のジムへ移籍する日、自分の店を貸し切って送別会を開いてくれた人。
その師匠のもとへ、引退のあいさつに行った夜の話を書こうと思います。
ただし今回は、師匠との思い出話ではありません。あの夜、あの狭い店で出会った、名前も知らない大人たちの話です。
労いの酒と、一期一会のテーブル
その夜、師匠の店には、福岡時代の同門の選手たちが2、3人来てくれていました。
「お疲れさん」と杯を重ねながら、リングを降りた人間として過ごす、最初の夜。寂しさが半分、安堵が半分の、なんとも言えない時間でした。
店内には、私たちのほかに、旅行客らしき年配の男性たちのグループがいました。50代から60代くらいでしょうか。
広い店ではありません。程なく席の境目は溶けて、私たちは同じ輪のなかで飲むことになりました。
完全に一期一会です。この人たちと会うことは、もう二度とないだろう。そう思いながら、その瞬間だけの会話を楽しむことにしました。
聞けば、仕事には不満だらけで、月に1回のこの旅行だけが唯一の楽しみなのだそうです。
その時点では、よくある話だと聞き流していました。旅先の解放感もあってか、会話そのものは、意外なほど弾んでいたのです。
宴が、愚痴に変わっていく
変化は、酔いとともにやってきました。
男性たちの声が、少しずつ大きくなっていきます。そして、こんな言葉が飛び交いはじめました。
「ずっとこの場所にいたい。朝になるな。仕事したくない」
「うちの社長は、俺ら年寄りをこき使いやがって」
「年金も期待できないし、もう日本はおしまいだ」
ほとんど、叫ぶような調子でした。
さっきまで楽しかった空気が、見る間に濁っていきます。私たちのテーブルは静かに冷めて、いつの間にか、別の席で飲み直していました。
師匠は「悪いな」と、教え子たちに申し訳なさそうにしていました。何も悪くないのは師匠のほうなのに、です。
お酒を飲むこと自体は、何も悪くありません。私自身、晩酌は人生の楽しみのひとつです。ただ、酔いに任せて、絡み、愚痴り、声を荒らげる──その姿だけは、あの夜からいまに至るまで、どうしても好きになれずにいます。
あの冷めた気持ちの正体は、たぶん「怖さ」だった
ここまでなら、ただの「旅先で残念な酔っ払いに会った話」です。けれど、この話には続きがあります。
正直に告白すると、あの夜の私は、あの人たちを笑える場所に立っていませんでした。
引退したばかりで、次の人生は白紙。ネットで個人が稼ぐ世界にも、まだ出会っていません。この先どうやって生きていくのか、何ひとつ決まっていない30代半ばの男。それが、あの夜の私でした。
だからいま振り返ると、あのとき感じた冷めた気持ちの正体は、軽蔑ではなく、怖さだったのだと思います。
何も選ばずに年月を重ねれば、自分もああなるかもしれない。目の前で愚痴を叫んでいるのは、他人ではなく、ありえたかもしれない未来の自分かもしれない──。
言葉にはできていませんでしたが、あの夜、身体のどこかがそう感じて、ざわついていたのです。
不満の中身を思い返すと、気づくことがあります。会社も、年金も、日本も、全部「自分の外側」の話でした。自分で変えられるものの話を、誰ひとりしていなかった。
そして、外側への愚痴だけが増えていく人生と、自分の選択の話ができる人生の分かれ道は、思っているよりずっと手前にあります。
若い世代が未来に希望を持てなくなる構造を調べたとき、私はあの夜の光景を何度も思い出しました。
「どっちを選んだ自分がカッコいいか」
あの夜から、15年以上が経ちました。
私はあれから、ネットの世界で自分の足場を作る道を選び、遠回りと失敗を重ねながら、いまは自分で設計した仕組みとともに暮らしています。
いまでも強烈に覚えている対比があります。以前、B’zとGLAYのライブに行ったときのことです。
ステージの上の彼らは、キャリアを何十年と重ねた大人であるにもかかわらず、とんでもなくカッコよかった。プロフェッショナルであり続けるその姿から、人生レベルのモチベーションをもらいました。「まだまだ頑張らないと」と、心の底から思わせてくれたのです。
あの夜のバーのオジサンたちと、ステージの上の彼ら。同じ世代の大人が、片方は若い世代の希望を削り、片方は希望そのものになっている。
その差は、才能ではないと私は思っています。日々の小さな選択を、自分の側に引き受けてきたかどうか。ただ、それだけの積み重ねです。
自由とは、何でもできることではなく、自分で選べること──私が繰り返し書いているこの定義も、根っこをたどれば、あの夜のバーに行き着く気がします。
その後の年月のなかで、私の選択基準はひとつに定まりました。
「どっちを選んだ自分がカッコいいか」
人生を左右する大きな決断でも、今日の午後をどう使うかという小さな選択でも、人生は常に選択の連続ですが、私の基準は同じ。「どっちを選んだ自分がカッコいいか」だけが私の選択の基準。
理屈より先に、この問いに正直に答える。私の場合は、それがいちばん後悔しない生き方でした。
50代、60代になったとき、後輩の隣で愚痴を叫ぶ側ではなく、「ああなりたい」と思われる側にいたい。
あの夜のオジサンたちは、そのことを、反面教師として教えてくれた恩人なのかもしれません。もう二度と会うことのない、一期一会の恩人です。
引退後の白紙の状態から、常識に縛られない生き方へ舵を切るまでの道のりは、著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』に綴っています。下記より無料でお読みいただけます。
「どっちの自分がカッコいいか」で人生を選んできた人たちの実例は、インタビューでも読むことができます。年齢を重ねるほど自由になっていく大人たちの話は、きっと良い酒の肴になるはずです。
この師匠との思い出は、別のエッセイにも書いています。24年前、沖縄での試合の朝、師匠と歩いた海岸をもう一度探しに行った話です。あわせてどうぞ。

コメント
この記事へのコメントはありません。