24年前の海岸を探しに──沖縄、記憶のなかの防波堤

2026.07.17
記憶が導く、あの海のイメージ
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2026年5月、沖縄本島。帰りの飛行機まで、あと数時間というところでした。

私はレンタカーを走らせながら、24年前の記憶だけを頼りに、ある海岸を探していました。

ガイドブックには載っていない、名前も知らない海岸です。有名なビーチでも、絶景スポットでもありません。

それでも私にとっては、沖縄でいちばん、もう一度立ちたい場所でした。

2002年4月。

プロボクサーだった私が、試合の日の朝に歩いた海岸──今回は、その場所を探した話と、あの朝、隣を歩いていた師匠の話を書こうと思います。

2002年4月──試合の日の朝、あの海岸

当時の私は20代。沖縄での試合を控えていました。

前日の夜、計量というひとつの関門を越えて、食事や水分補給を済ませ、ようやく人心地ついたホテルの部屋で、就寝までの2時間ほどを師匠と過ごしました。

話した内容は、試合とはまるで関係のない、他愛もないことばかりです。翌日リングに上がる人間の部屋とは思えない、静かで穏やかな時間でした。

おかげであの夜は、驚くほど深く眠れたのを覚えています。

そして迎えた試合当日の朝。師匠と二人で、ホテルの周辺を散歩しました。

少し歩くと、海に出ました。

朝の海には、もうサーフィンをしている人たちがいて、波の音に混じって遠い歓声が聞こえてきます。

海岸沿いの道の防波堤には、端から端まで、色とりどりのアートが描かれていました。歩いても歩いても絵が途切れない。日本にいるはずなのに、どこか異国の海辺に迷い込んだような、不思議な景色でした。

数時間後には殴り合いをする人間が歩く道としては、あまりに穏やかで、あまりに心地よい。

その落差ごと、あの朝の空気は、24年経ったいまでも身体のどこかに残っています。

隣を歩いていた師匠のこと

あの朝、隣を歩いていた師匠のことを、少しだけ書かせてください。

20代前半、私が本気でプロボクサーを志すと決めたとき、所属していた福岡のジムで私を担当してくれたトレーナーが、その人でした。

師匠にとって、私は最初の教え子。歳の差はわずか10歳ほどで、練習のことだけでなく、私生活でもずいぶんかわいがってもらいました。

師匠自身、波乱に富んだ濃い人生を歩んできた人です。だから話には妙な説得力があって、聞いていて飽きることがない。

ボクシングの技術と同じくらい、師匠の生き方の話から学んだことは多かったと思います。

のちに私が東京のジムへ移籍することになり、福岡を発つとき、師匠は自分が経営するバーを貸し切って、送別会を開いてくれました。

あれから20年以上が経ちますが、いまでも福岡に立ち寄るときは、必ずあの店に顔を見せに行きます。カウンター越しの顔は、あの頃と変わりません。

試合前夜、眠れないはずの選手が落ち着いて眠れたのは、隣にこの人がいたからでした。

恐怖というものは、言い聞かせて消せるものではなく、積み上げた準備と、そばにいる人で小さくするものなのだと思います。

あの夜の実感がその後の私の行動をどう支えてきたかは、別の記事に詳しく書きました。

2026年5月──記憶だけを頼りに、海岸線を走る

今年の5月、沖縄を旅した最終日。私はふと、あの海岸をもう一度見たくなりました。

手がかりは、24年前の記憶だけです。

泊まっていたホテルから歩いて行けたこと。防波堤のアート。サーファーのいる海。通りの空気感──断片をつなぎ合わせながら、それらしい海岸線をレンタカーでゆっくり流していきました。

「たぶん、この辺りだ」

通りの雰囲気に、記憶と重なる瞬間が何度かありました。目星はついた。おそらく、あの海岸はこの周辺で間違いない。

あと少し、車を降りて歩いて確かめたい──そう思ったところで、時計を見ました。

帰りの飛行機の時間までぎりぎりでした。

タイムオーバー。私は車を空港へ向け、あの海岸は、記憶のなかに残ったままになりました。

見つけられなかったものは、「宿題」になる

正直に言えば、悔しさはありました。あと1時間あれば、という思いも。

けれど帰りの機内で、不思議と嫌な気分ではない自分に気づきました。むしろ、少しうれしいような気さえしたのです。

考えてみれば、もしあの日、すんなり海岸を見つけていたら、この話はそこで完結していました。

写真を撮って、「24年ぶりに来た」と満足して、終わり。

でも見つけられなかったおかげで、私には沖縄にもう一度行く理由が、ひとつ増えたのです。

旅を振り返るとき、深く残っているのは、決まって予定していなかったもののほうです。無事に回収された目的地より、たどり着けなかった場所のほうが、長く心に住み続ける。

この構造については、観光と旅の違いについて書いた記事でも掘り下げています。

人生の計画も、これと同じでいいと私は思っています。すべてを予定通りに回収しなくていい。

やり残しは失敗ではなく、次に進む理由になる。完璧な完成図より、余白のあるラフ案のほうが、続きを描きたくなるものです。

記憶のなかの海岸は、逃げません。

あの防波堤のアートは、もしかしたらもう描き替えられているかもしれないし、防波堤そのものがなくなっているかもしれない。

それでも構わないのです。確かめに行くこと自体が、もう旅の理由になっているのだから。

次の沖縄で、あの海岸を見つけたら、写真を一枚撮って、福岡の師匠に送ろうと思います。

24年前、あなたとここを歩きました、と。


ボクシングの世界で学んだことを土台に、常識に縛られない生き方へ舵を切るまでの道のりは、著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』に綴っています。下記より無料でお読みいただけます。

「行きたい場所に、行きたいときに行ける暮らし」を実際に形にしている方々の話は、インタビューで読むことができます。旅と仕事の距離感を考えるヒントに、覗いてみてください。


ボクシング時代の「回収しに行く記憶」シリーズ、実はまだ他にもあります。

引退後の清掃バイト先で出会った恩人に、13年越しの感謝を渡せた日が実際にやってきました。その記録も、エッセイとして残しています。

また、この記事に登場した師匠のバーには、引退のあいさつに行った夜の忘れられない出来事があります。あの夜に出会った「未来の自分」の話は、こちらに書きました。

リライフ特集

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Studio Rough Style(SRS)代表。 当サイト管理人&編集長。 1976年生まれ、熊本県出身、東京都在住。 元プロボクサーで、選手引退後に、派遣・アルバイトなど30社以上の現場を渡り歩くフリーター生活を経験後、セカンドキャリとしてネット起業の世界へ。 詳細は下記にて。 [clink url="https://studio-rough-style.net/self-introduction/"]

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