2026年5月、沖縄本島。帰りの飛行機まで、あと数時間というところでした。
私はレンタカーを走らせながら、24年前の記憶だけを頼りに、ある海岸を探していました。
ガイドブックには載っていない、名前も知らない海岸です。有名なビーチでも、絶景スポットでもありません。
それでも私にとっては、沖縄でいちばん、もう一度立ちたい場所でした。
2002年4月。
プロボクサーだった私が、試合の日の朝に歩いた海岸──今回は、その場所を探した話と、あの朝、隣を歩いていた師匠の話を書こうと思います。
2002年4月──試合の日の朝、あの海岸
当時の私は20代。沖縄での試合を控えていました。
前日の夜、計量というひとつの関門を越えて、食事や水分補給を済ませ、ようやく人心地ついたホテルの部屋で、就寝までの2時間ほどを師匠と過ごしました。
話した内容は、試合とはまるで関係のない、他愛もないことばかりです。翌日リングに上がる人間の部屋とは思えない、静かで穏やかな時間でした。
おかげであの夜は、驚くほど深く眠れたのを覚えています。
そして迎えた試合当日の朝。師匠と二人で、ホテルの周辺を散歩しました。
少し歩くと、海に出ました。
朝の海には、もうサーフィンをしている人たちがいて、波の音に混じって遠い歓声が聞こえてきます。
海岸沿いの道の防波堤には、端から端まで、色とりどりのアートが描かれていました。歩いても歩いても絵が途切れない。日本にいるはずなのに、どこか異国の海辺に迷い込んだような、不思議な景色でした。
数時間後には殴り合いをする人間が歩く道としては、あまりに穏やかで、あまりに心地よい。
その落差ごと、あの朝の空気は、24年経ったいまでも身体のどこかに残っています。
隣を歩いていた師匠のこと
あの朝、隣を歩いていた師匠のことを、少しだけ書かせてください。
20代前半、私が本気でプロボクサーを志すと決めたとき、所属していた福岡のジムで私を担当してくれたトレーナーが、その人でした。
師匠にとって、私は最初の教え子。歳の差はわずか10歳ほどで、練習のことだけでなく、私生活でもずいぶんかわいがってもらいました。
師匠自身、波乱に富んだ濃い人生を歩んできた人です。だから話には妙な説得力があって、聞いていて飽きることがない。
ボクシングの技術と同じくらい、師匠の生き方の話から学んだことは多かったと思います。
のちに私が東京のジムへ移籍することになり、福岡を発つとき、師匠は自分が経営するバーを貸し切って、送別会を開いてくれました。
あれから20年以上が経ちますが、いまでも福岡に立ち寄るときは、必ずあの店に顔を見せに行きます。カウンター越しの顔は、あの頃と変わりません。
試合前夜、眠れないはずの選手が落ち着いて眠れたのは、隣にこの人がいたからでした。
恐怖というものは、言い聞かせて消せるものではなく、積み上げた準備と、そばにいる人で小さくするものなのだと思います。
あの夜の実感がその後の私の行動をどう支えてきたかは、別の記事に詳しく書きました。
2026年5月──記憶だけを頼りに、海岸線を走る
今年の5月、沖縄を旅した最終日。私はふと、あの海岸をもう一度見たくなりました。
手がかりは、24年前の記憶だけです。
泊まっていたホテルから歩いて行けたこと。防波堤のアート。サーファーのいる海。通りの空気感──断片をつなぎ合わせながら、それらしい海岸線をレンタカーでゆっくり流していきました。
「たぶん、この辺りだ」
通りの雰囲気に、記憶と重なる瞬間が何度かありました。目星はついた。おそらく、あの海岸はこの周辺で間違いない。
あと少し、車を降りて歩いて確かめたい──そう思ったところで、時計を見ました。
帰りの飛行機の時間までぎりぎりでした。
タイムオーバー。私は車を空港へ向け、あの海岸は、記憶のなかに残ったままになりました。
見つけられなかったものは、「宿題」になる
正直に言えば、悔しさはありました。あと1時間あれば、という思いも。
けれど帰りの機内で、不思議と嫌な気分ではない自分に気づきました。むしろ、少しうれしいような気さえしたのです。
考えてみれば、もしあの日、すんなり海岸を見つけていたら、この話はそこで完結していました。
写真を撮って、「24年ぶりに来た」と満足して、終わり。
でも見つけられなかったおかげで、私には沖縄にもう一度行く理由が、ひとつ増えたのです。
旅を振り返るとき、深く残っているのは、決まって予定していなかったもののほうです。無事に回収された目的地より、たどり着けなかった場所のほうが、長く心に住み続ける。
この構造については、観光と旅の違いについて書いた記事でも掘り下げています。
人生の計画も、これと同じでいいと私は思っています。すべてを予定通りに回収しなくていい。
やり残しは失敗ではなく、次に進む理由になる。完璧な完成図より、余白のあるラフ案のほうが、続きを描きたくなるものです。
記憶のなかの海岸は、逃げません。
あの防波堤のアートは、もしかしたらもう描き替えられているかもしれないし、防波堤そのものがなくなっているかもしれない。
それでも構わないのです。確かめに行くこと自体が、もう旅の理由になっているのだから。
次の沖縄で、あの海岸を見つけたら、写真を一枚撮って、福岡の師匠に送ろうと思います。
24年前、あなたとここを歩きました、と。
ボクシングの世界で学んだことを土台に、常識に縛られない生き方へ舵を切るまでの道のりは、著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』に綴っています。下記より無料でお読みいただけます。
「行きたい場所に、行きたいときに行ける暮らし」を実際に形にしている方々の話は、インタビューで読むことができます。旅と仕事の距離感を考えるヒントに、覗いてみてください。
ボクシング時代の「回収しに行く記憶」シリーズ、実はまだ他にもあります。
引退後の清掃バイト先で出会った恩人に、13年越しの感謝を渡せた日が実際にやってきました。その記録も、エッセイとして残しています。
また、この記事に登場した師匠のバーには、引退のあいさつに行った夜の忘れられない出来事があります。あの夜に出会った「未来の自分」の話は、こちらに書きました。


コメント
この記事へのコメントはありません。