「ウェルビーイング(well-being)とは何か」
この問いに、私は本で出会う前に、人生で出会っています。
ウェルビーイングとは、嬉しい・楽しいという瞬間の感情ではなく、身体・心・人間関係・仕事・暮らしを含めた「人生全体が良い状態」が続いていること。
研究者たちがそう定義していると知ったとき、私が感じたのは新しさではなく、既視感でした。
10年ほど前、私は「時間・場所・収入の自由が揃って初めて、人は本当の自由と幸せを実感できる」という自己流の設計図を描き、「虹色ライフ」と名づけて追いかけてきました。
幸福がひとつの要素だけでは成立しないことを、大切なものを失った代償として、先に体で学んでいたからです。
言うなれば、学者たちが上空から作った精密な地図と、遭難した人間が地べたを這いながら描いた手書きの地図が、同じ地形を示していた。ウェルビーイングという概念は、私にとってそういうものです。
この記事では、ウェルビーイングの定義と幸福(ハピネス)との違い、PERMAモデルとギャラップの5要素という「研究の地図」を整理します。そのうえで私の手書きの地図と突き合わせ、見落とされやすい要素はどこか、日常で何から高めていけばいいのかまでお伝えします。
私はウェルビーイングという言葉を知る前に、その欠落で人生を壊した
先に、私がこのテーマを教科書としてではなく、当事者として書く理由をお話しします。
私は20代から30代半ばまで、約10年間プロボクサーとして生きました。身体は生涯でいちばん強く、目の前には打ち込める目標があり、毎日に意味と没頭がありました。
ただし、収入はほとんどありません。生活のためのアルバイトに練習時間を削られる日々。いま振り返れば、あの頃の私の人生の地図は、「意味」の区画だけが濃く塗られ、「経済」の区画は白紙でした。
引退後は、その反動が来ます。
「男はとにかく稼いでナンボ」と思い定め、フリーターとしてトリプルワークをこなしながら、労働収入型のネットビジネスに没頭しました。休みのない、働きづめの日々です。
そして2014年11月、私は離婚しました。お金を追うあまり、当時の妻との時間を犠牲にし続けた結果です。稼ぐ力は着実についていたのに、その力で守りたかったはずの生活は、先に消えていました。
今度は「経済」の区画だけを塗りつぶし、「人間関係」の区画を白紙にしたわけです。
塗った区画がどれだけ濃くても、人は白紙の区画で遭難する。二度の遭難で、それを覚えました。
このどん底から人生を組み直していく過程は、PTG(心的外傷後成長)という心理学の概念とともに、別の記事に詳しく書いています。
ウェルビーイングという言葉が教えてくれるのは、まさにこの構造です。
幸福は、ひとつの要素を極めても手に入らない。人生全体の状態として、複数の要素を同時に見る必要がある。
ここから、その中身を順に整理していきます。
ウェルビーイングとは何か──「幸福」との違いはどこにあるのか
ウェルビーイングの定義として、もっとも広く引用されるのはWHO(世界保健機関)憲章の一節です。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
(健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。)
参考:WHO憲章(日本WHO協会訳)/https://japan-who.or.jp/about/who-what/charter/
身体が動く。精神が安定している。社会とのつながりがある。この3つがすべて満たされた状態──それがウェルビーイングの原型です。
では、「幸福(ハピネス)」とはどう違うのか。ポジティブ心理学では、幸福を2つの側面に分けて捉えます。
【2種類の幸福──ヘドニックとユーダイモニック】
- ヘドニック・ウェルビーイング(快楽的幸福)──ポジティブな感情を感じている状態。美味しいものを食べた、旅行が楽しい、褒められた。日常の「嬉しい」「楽しい」がこれに当たる。
- ユーダイモニック・ウェルビーイング(持続的幸福)──人生に意味を感じている状態。自分の価値観に沿って生きている実感、成長している実感、誰かの役に立っている感覚。
「ハピネス」が主に指すのは、前者の瞬間的なポジティブ感情です。
一方、ウェルビーイングはこの両方を含む、より大きな概念。
一言でいえば、幸福が「感情」なのに対し、ウェルビーイングは「状態」なのです。
参考:Ryan, R. M. & Deci, E. L.「On Happiness and Human Potentials: A Review of Research on Hedonic and Eudaimonic Well-Being」Annual Review of Psychology, 2001年/https://www.annualreviews.org/doi/abs/10.1146/annurev.psych.52.1.141
この区別は、言葉遊びではありません。
宝くじの高額当選者が、当選直後の強烈な快楽のあとに以前より不幸になっていく現象は、その典型です。瞬間の感情をどれだけ積み上げても、「自分の人生には意味がある」という状態が欠けていれば、人生全体の充実にはつながらない。
この現象の構造は、別の記事で詳しく分析しています。
離婚直後の私にも、覚えがあります。
おいしいものを食べれば、その瞬間は「うまい」と感じる。感情は動くのです。
それでも、部屋に戻れば「何のために働いているのか」への答えがない。感情は動くのに、状態が壊れている。
幸福とウェルビーイングが別物であることを、あれほど分かりやすく突きつけられた時期はありません。
研究者たちの地図──PERMAモデルとギャラップの5つの要素
では、「人生全体が良い状態」とは、具体的に何で構成されているのか。研究の世界には、代表的な地図が2枚あります。
1枚目が、ポジティブ心理学の創始者マーティン・セリグマンが提唱したPERMA(パーマ)モデルです。
【PERMAモデル──ウェルビーイングの5つの要素】
- P:Positive Emotion(ポジティブな感情)──喜び、感謝、希望。日常にポジティブな感情があること。
- E:Engagement(没頭)──時間を忘れるほど何かに集中している状態。いわゆる「フロー」体験。
- R:Relationships(良好な人間関係)──信頼できるパートナー、友人、家族とのつながり。
- M:Meaning(意味・意義)──自分の人生には意味がある、何かに貢献しているという感覚。
- A:Achievement(達成)──目標に向かって前進し、成し遂げる経験。
参考:Martin Seligman「Flourish」Authentic Happiness(ペンシルベニア大学)/https://www.authentichappiness.sas.upenn.edu/node/254
2枚目が、米ギャラップ社が世界規模の調査から導いた「ウェルビーイングの5つの要素」。こちらは心の内側ではなく、生活の領域で区切った地図です。
【ギャラップ社のウェルビーイング5要素】
- Career Well-being(キャリア)──日々の活動に充実感があるか?
- Social Well-being(人間関係)──信頼できるつながりがあるか?
- Financial Well-being(経済)──経済的な安心感があるか?
- Physical Well-being(身体)──心身の健康が保たれているか?
- Community Well-being(地域)──住んでいる場所やコミュニティに帰属意識があるか?
参考:Gallup「Help Employees Improve Wellbeing and Performance」/https://www.gallup.com/workplace/215924/well-being.aspx
2枚に共通する結論は、シンプルです。
ウェルビーイングは、ひとつの指標では測れない。
そして、どれかひとつが突出していても、残りが欠けていれば全体は不安定になる。達成だけを追えば燃え尽き、快楽だけを追えば意味を見失う──私が二度の遭難で描いた手書きの地図と、線がぴたりと重なっていました。
私の「虹色ライフ」は、時間・場所・収入の3つの自由を柱にした設計図です。収入の自由はギャラップの「経済」に、時間の自由は人生の主導権に、場所の自由は「どこで・誰と暮らすか」に対応します。
学者の地図を知らない人間が、失敗から逆算して作った図面としては、悪くない一致だと思っています。
ただし、正直に告白すると──私の手書き地図には、描き漏らした区画が2つありました。そしてその2つこそ、多くの人が同じように見落とす区画なのです。
私の地図に抜けていた2つの区画──人間関係と身体
人間関係──「自由」の設計図に、人の名前がなかった
虹色ライフの3本柱に、「人間関係」という言葉は入っていませんでした。人との関係を犠牲にした失敗から生まれた設計図なのに、です。自由さえ手に入れば、大切な人との時間は自然についてくる──当時の私は、どこかでそう考えていました。
これは、甘かった。ギャラップの5要素にもPERMAにも、人間関係は独立した要素として明記されています。
つながりは、自由の副産物ではなく、それ自体を耕すべき独立した区画だったのです。
実際、いまの私の生活で幸福の実感がいちばん濃いのは、再婚した妻との時間や、両親を連れた旅行、20年以上通うバーのカウンターのような場面です。
役割を演じなくてもいい「居場所」が幸福度を大きく左右することは、国内外の研究でも裏付けられています。
身体──貯金を使い果たすまで、気づかない
もうひとつの見落としが、身体です。元プロボクサーの私が言うのだから、説得力があると思ってください。
鍛え込んだ人間ほど、身体を「あって当たり前のインフラ」として地図から外します。
引退後の私は、365日働き、寝る間を惜しんで画面に向かい、ボクサー時代の身体の貯金を静かに取り崩していました。貯金は、残高が尽きるまで減っていることに気づけません。
いまの私が毎朝4時~6時の間のランニングと睡眠の確保を何より優先しているのは、健康志向というより、身体の区画が白紙になれば、他のすべての区画が同時に塗れなくなると知っているからです。
睡眠が判断力・感情の安定・仕事の質にどう波及するかは、別の記事で整理しています。ウェルビーイングの土台工事として、まずここから着手するのが、遠回りに見えて最短です。
なぜいま注目されるのか──「豊かなのに幸せではない」日本の構造
ウェルビーイングという概念が、行政やビジネスの世界でこれほど注目されるようになった背景には、大きな前提の崩壊があります。
「経済が成長すれば、人は幸せになる」という前提が、データで否定されつつあるのです。
2015年に国連で採択されたSDGsは、目標3に「Good Health and Well-Being」を明記しました。GDP(国内総生産)だけでは人々の生活の質を測れないという認識が、国際的な政策目標のレベルにまで到達したということです。
参考:United Nations「Transforming our world: the 2030 Agenda for Sustainable Development」/https://sdgs.un.org/2030agenda
そして、この「経済と幸福のねじれ」を最も体現しているのが日本です。世界トップクラスの経済大国かつ長寿国でありながら、世界幸福度ランキングでは147カ国中55位。ハーバード大学主導のグローバル・フローリッシング研究では、22カ国中最下位という結果でした。
特に弱いのが「親しい友人がいる」「困ったときに助けてくれる人がいる」というつながりの項目──つまり、私の地図から抜けていたのと同じ「人間関係」の区画です。
参考:World Population Review「Happiest Countries in the World」/https://worldpopulationreview.com/country-rankings/happiest-countries-in-the-world
参考:日経サイエンス「幸福の意外な正体」(グローバル・フローリッシング研究)/https://www.nikkei-science.com/202604_026.html
身体は元気で、経済も回っているのに、つながりと「自分で人生を選んでいる感覚」が薄い。
この日本特有の構造については、幸福度ランキングのデータとともに別の記事で掘り下げています。
ウェルビーイングを高める方法──白紙の区画から塗り始める
ここからは実践です。といっても、5要素すべてを一斉に改善する必要はありません。
むしろ逆で、コツは自分の地図でいちばん白紙に近い区画を特定し、そこから塗り始めることです。濃い区画をさらに濃くしても、全体の安定はほとんど変わりません。
ポジティブ感情──「3つの良いこと」で気づく力を鍛える
効果が実証されている実践として、毎晩その日にあった良いことを3つ書き出す「3つの良いこと」エクササイズがあります。
ポイントは、良いことを「探しに行く」のではなく、すでにあった良いことに気づく感度を上げること。地味ですが、続けた人から効いてきます。
参考:Seligman, M.E.P. et al.「Positive Psychology Progress: Empirical Validation of Interventions」American Psychologist, 2005年/https://doi.org/10.1037/0003-066X.60.5.410
没頭と意味──「何のために」を自分の言葉で持つ
時間を忘れて打ち込める活動があるか。そして、その活動に自分なりの意味を語れるか。
ここで大切なのは、意味は外から与えられるものではなく、自分で定義するものだということです。
私の場合、ビジネスの目的を「大きく稼ぐこと」から「自由な時間を生み出すこと」に書き換えた瞬間から、同じ作業の意味がまるで変わりました。手を動かす日々は同じでも、地図の上での現在地が違う。
世間の「成功」の定義を借りたままでは、この書き換えはできません。
人間関係──「自然に会える」を待たず、予定にする
大人になってからの人間関係は、放っておくと確実に痩せていきます。私は在宅で仕事が完結する生活だからこそ、人と会う機会や通う場所を、意志ではなく予定として確保するようにしています。
週に一度でも、役割を脱いで座れる場所があるかどうかで、心の摩耗の速度は目に見えて変わります。
身体と時間──「削る対象」から「守る対象」へ
睡眠と運動を「余裕があればやること」の棚から、「最初に確保すること」の棚へ移す。これだけで、他の4要素の土台が安定します。
そしてもうひとつ、時間とお金の優先順位です。複数の研究で、お金より時間を優先する人のほうが幸福度が高い傾向が繰り返し示されています。収入という一区画のために時間を無限に差し出していた頃の私は、まさにこの逆を走っていました。
時間とお金のどちらを取るべきかという問いには、別の記事で正面から答えています。
おわりに──地図は、ラフに描き直しながら進めばいい
ウェルビーイングとは何か。
それは、瞬間の感情ではなく、身体・心・人間関係・仕事・暮らしを含めた「人生全体が良い状態」が続いていることです。そして、その状態はひとつの要素を極めることでは手に入らず、複数の区画をバランスよく塗っていくことでしか成立しません。
ただ、完璧な地図を目指す必要はないと、私は思っています。私の手書き地図は、二度の遭難を経て描かれ、その後も「人間関係」と「身体」を描き足して、いまの形になりました。おそらくこれからも描き直します。
大切なのは、全区画で満点を取ることではなく、白紙のまま放置された区画を作らないこと。
それだけで、人生の遭難はかなりの確率で防げます。
常識のレールを降り、時間・場所・収入の自由を自分の手で設計してきた道のりは、著書(Amazon kindle ランキング 5冠を達成した電子書籍)『あ、常識とかいいんで、とりあえず自由ください。』に綴っています。下記より無料でお読みいただけます。
また、当サイトでは、自分なりのバランスで「良い状態」を設計しながら暮らす方々へのインタビューを掲載しています。5つの要素の塗り方は人の数だけある──その実例として、きっと参考になるはずです。
自分の「良い状態」は、自分で定義し、自分で設計する。その主語を誰にも明け渡さないことが、ウェルビーイングの出発点です。


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